2005年09月11日

My Dear Keiko

from My Dear Keiko/2001年4月12日〜14日。/送る言葉。(抜粋)

 お別れ会の最後に親族を代表して、僕が送る言葉を述べることになっていました。しかしそうは言われたものの、何を言えばいいのか最後までまとまらず、その場でも胸が詰まって涙が出て来て、結局うまく言えませんでしたが、その時言おうと思っていたことはこんなことでした。
 「・・・・早過ぎる死でした。人の死はどんな場合も、残された者に悲しみ、辛さをもたらします。敬子の場合もあまりに突然で、しかもこれからやりたいことがたくさんあって、お互いに計画を練っていた矢先でしたから。
 重い脳腫瘍と診断された敬子は198日間一生懸命頑張ってくれました。沈黙の闘いでしたが、何度もくじけそうになった僕を窘め、勇気づけてくれました。そしてその人生を賭けて色々な宝を僕に残してくれました。そのひとつはたくさんの想い出です。僕は敬子が19歳の時に出会いました。ガールフレンドが、恋人になり、妻となり、そして母となる。それぞれの時を共に過ごせたことは幸せで、とても大切な宝になりました。二つ目は多くの友人たち。みなさんも得難く、そして何物にも代え難い宝です。闘病中、何度もお見舞いに来てくれて、励まし勇気づけてくれました。大好きな歌が病室に響いたこともありました。そんなみなさんのご助力が敬子に届きました。そして僕もどんなに辛くても決して負けない、あきらめない、自分からは降りない、そんな敬子を好きになったのだと思いました。三つ目の宝。それは僕に残してくれた愛する家族です。沙羅と葉奈。この2人がいなければ僕はただうろたえるばかりで、希望を失ってしまったかも知れません。2人の娘をとても愛していた敬子でしたから、これから敬子の分も愛して行きたいと思います。

 敬子の旅立ちに何を添えようかと迷いました。思案した末にいくつかに絞りました。敬子がお気に入りだった赤い洋服とベティという渾名に因んだベティブープのT−シャツ、そしていつか何と書いたのか教えてくれるかも知れませんが、沙羅と葉奈からの手紙、僕も手紙を書きました。そして病室で、一時回復に向かっていた頃、その結末を知りたくてでも果たせなかったサスペンス小説、途中お腹が空かないように、小さい頃お父さんがいつもおみやげに買って帰ってくれた、甘党の敬子らしく栗饅頭、そしていつの日か、敬子の元に行く日が来たら、一番にして欲しいと思い立って、最後はとても大好きだった「KISS ME AGAIN」という本にすることにしました。
 早過ぎる死は今も信じられない所がありますが、こんなに多くのみなさんに見送っていただいて、敬子もそして僕たちもとても幸せです。生前は『雨女』という評判ももらったことも度々でしたが、両日とも良く晴れ、安心して旅立つことが出来ることも嬉しく思います。本当に本当にありがとうございました。」
 実はあと2つ、添えたものがありました。それは弟の廣次がマウイ島で、奥さんとなった千景ちゃんと結婚式を挙げた時の写真。彼女のお気に入りのマウイ島の素晴らしい景色を背景に、タキシードと純白のドレスで納まったとても晴れやかで素晴らしいものでした。彼女は千景ちゃんにずっと会いたがっていたけれど、とうとう元気な時に会うことは出来ませんでした。ふーんこんな女性なんだ、会いたかったなとつぶやいているかも知れない。そして彼女の妹恭子ちゃんの手紙。沙羅や葉奈と同じようにいつか何と書いたのか教えてくれるかも知れませんが。彼女は2人目の匠くんの誕生を誰より楽しみにしていました。やはり抱いてあげることは果たせなかったけれど。
 送る言葉を終えて間もなくして、彼女の棺は式場から車で10分ほどの桐ヶ谷斎場に運ばれ、1時間ほどをかけて焼かれました。式場を出る時、道の両側にまだ大勢のみなさんがいて最後まで別れを惜しんでくれました。確かに彼女に起こってしまったことは辛く、悲しい。でも式場にこれだけ多くのみなさんが集まって、賑やかに晴れやかに送ってもらえたのはとても素晴らしいことでした。きっと彼女も嬉しいと思っているし、「ありがとう、みなさん。」と言っているだろう。バスで斎場に向かう途すがら、そんなことを思いました。
 骨を拾い上げました。ひとつ一つ丹念に。後からお母さんが、やはり頭の骨は少なかったわねと言いましたが、とても元気な骨でしかもたくさんあったらしく、当初予定していた女性用の骨壺には収まらず、急遽男性用に替えられました。華奢な身体付きだったけれど、実はなかなか骨太だったのかも知れません。しかし、彼女の骨が、男性用とはいえこんなに小さな壺の中に入ってしまったのかと思うと、とても不思議な感じがしました。
 式場で食事を済ませて家に戻り、葬儀社の方が組み立ててくれた祭壇に、式場から持って帰ったたくさんの向日葵や送られたきれいな花に飾られて、写真と共にきれいな箱に収められた骨壺が載せられました。祭壇に飾られた写真の彼女は優しい笑顔で僕を見ていました。なんとか無事に送り出すことが出来てホッとしました。身体の力がすーっと抜けていくような気がしました。
 最初に彼女に声をかけた時、出てきたのは、やはり「ありがとう、敬子。」という言葉でした。

at 23:39 | Category : My Dear Keiko | Comments [0] | TB [0]
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