敬子はどんどん痩せて来ていました。抵抗力が落ち、首から顎にかけて帯状に、そして額と頬にも赤く発疹が出来始めました。結膜浮腫が起き、涙腺の周辺の肉が剥き出しになってしまい、乾燥を防ぐために両目がガーゼで覆われました。これまでなかった床ずれも出来始め、左の踵や右のふくらはぎにひどい鬱血が見つかりました。
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日々変動はあるものの血圧は安定し、脈拍も呼吸が止まった時点よりはかなり少なくなって落ち着いて来ていました。しかしもうこれは「生きている」のではなくて、「生かされている」に過ぎないのではないか。そんな風にしか考えられなくなっていました。お母さんも「もう敬子は十分に頑張ってくれたわ。とにかく早く楽にしたあげたい。人工呼吸器をはずしてやれないのかしら。」と言いました。気持ちが痛いほど解りました。最後まで見届けると決めた僕も揺れていました。
そんな或る朝。いつもより早めに病院に着いた僕は、偶然中村先生に会いました。容態を気にかけて毎朝晩看に来てくれているようでした。思い切って訊ねました。「正直言って日々妻の様子が変わって行くのを見るのが辛くなって来ました。お母さんも楽にしてあげたいと言っています。僕も迷ってはいるのですが、人工呼吸器をはずしてあげることは出来るのでしょうか?」「どうしてもとおっしゃる場合はご家族みなさんの同意が得られれば、はずすことは出来ます。事実私が医者に成り立ての頃はそういうこともありましたが、今は少ないと思います。それと確かにこんな状態になってしまったことはとても残念ですが、そこから頑張って来られたことで、色々な方とお会いすることも出来ました。奥さんはご自分の意志でこの途を選びここまで持ち堪えているのだと、私は思います。それにもしご主人が迷っておられるのなら、人工呼吸器をはずすのは止めた方がいいと思います。」
自らの意志。人工呼吸器に頼らなければもう明日はない。しかし彼女は今日も生き抜いた。何故そんなに頑張るのか。何が彼女をそうさせるのか。苦しく辛いのではないか。楽になりたいと思っているのではないか。そんな想いが頭を占めていましたから、中村先生の言葉にハッとさせられました。
彼女の「生きる力」に任せて最後まで見届けると決めた。それは彼女の意志を尊重することでもある。どんなに変わり果て、それを見るのがどんなに辛くても、それが彼女の選んだ途なのだと。
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