呼吸が停止してから2週間が過ぎようとしていました。沙羅にクラスメート朋子ちゃんのお父さん、佐々木正寿さんが病室を訪ねてくれました。
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その後一緒に1階に降り、病棟に挟まれた中庭のようなスペースで話をしました。
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「・・・・・・・敬子は走るのは遅かったけど長く走るとか泳ぐのは得意だったみたい。マラソン向きの筋肉してたのかな。佐々木さんはどうしてマラソン始めたの?」「どうしてですかね。だいぶ前のことですから良く憶えてませんね。ただマラソンしてると邪魔が入らず独りで考えることが出来るし、責任も全部自分にあるし。そんな所が好きなんだと思いますよ。」「そうか。マラソンってみんな観るのは好きだよね。ただ走ってるだけのようなのに画面に釘付けになっちゃう。きっと独りで闘ってる姿に魅入っちゃうんだろうね。普段みんな独りであることって特別に考えたり意識したりしないしね。」「実際の話、苦しいですよ。でも途中で止めちゃうとなんか悔しくて。ただそれだけなんですけどね。自分に負けちゃうのが悔しいから最後まで頑張っちゃうんですね。」
取り止めもない話をして別れ、病室に戻りました。彼女は静かに横たわっていました。脈拍が落ち着いていたものの、呼吸が止まった直後は200に近づくほどで、それはまさに全力疾走をした後の胸の高鳴りほどの状態でした。もう身体の反応はありません。啖を引く時、苦しそうにもがいていたのに、それさえも。人工呼吸器が命の綱。外見はピクリともしないのに、彼女の心臓は時にマラソンランナーのように高鳴り、走り続けている。独りで。傍にいて見守ってはいても、その孤独を癒やしてあげられない。病との闘いはかくも孤独なものなのか。またしても何も出来ないもどかしさ、悔しさが残りました。一緒に走ってあげられれば、一緒について行ってあげられたら。彼女が死に直面しているその時に「人はその最期、また独りに戻らなければならない。」その厳しい現実が沁みました。
でも「途中で止めたら悔しい。」彼女はきっとそう思っている。応援しなければ。最後の最後まで。
たとえどんなに厳しく、辛くても、自分からは降りない。そんな彼女を好きになったのだから。
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