2000年3月27日。敬子が倒れたから半年と少し。沙羅と葉奈は春休みに入って、久し振りに彼女の実家に遊びに行っていました。僕は朝から掃除、洗濯、書類や仕事の整理、といううちにあっという間に時間が過ぎ、軽く朝食兼昼食を食べていました。電話が鳴りました。病院からでした。「ご主人様ですか?さきほど敬子さんの呼吸が停止しました。今からすぐにおいでになれますか?」「は、はい。20分ぐらいで行けると思います。」「そうですか。お待ちしておりますので。」あまりに突然で驚きましたが、そう答え、大急ぎで身支度をし、実家に電話を入れ病院で待ち合わせることにしして家を出ました。
彼女はすでに個室に移され、気管切開をした部分に人工呼吸器が繋がれていました。黒く小さなサンドバッグのような袋が規則的に膨らんでは縮み、彼女の呼吸の代わりをしていました。何種類もの薬剤がぶら下がり、脈拍や血圧を測定する機器なども運び込まれていました。救命救急センターに入った時のことを思い出しました。中村先生から説明を受けました。「今朝、先日お話しました通り、髄液を抜きました。その時点では状態は悪くありませんでした。膨瘤もだいぶ小さくなったと思います。しかし、その後再び膨れ出し、午後1時頃呼吸が停止しました。原因は特定出来ません。今はCT撮影も出来る状態ではありませんが、再び出血し、脳ヘルニアが起こって呼吸停止を引き起こしたのだと思います。瞳孔が開き始め、血圧の50-45まで急激に下がり始めたために、人工呼吸に切り替え、強心剤を投与して心臓の機能低下を抑えているという状況です。残念ですがかなり厳しい状況です。ご両親には連絡されましたか?」「はい。今娘たちと一緒にこちらに向かっています。」
4人が到着すると、すでに来てくれていた荒木さんと橋本さんと入れ替わりに病室に入りました。娘たちは彼女を見て驚いていましたが、涙をこらえて「ママ、頑張って」と声を掛けました。再びお父さんと一緒に説明を受けました。お父さんもあまりに突然で呆然としていました。ここ数日熱がなかなか下がらず、表情も虚ろで、口を開け荒く息をすることもあって心配でしたが、まさかこんな形で容態が急変し、呼吸が止まってしまうなんて。
ベッドに横たわる彼女は、目を薄く開け、呼吸が停止してしまったとは思えないほど、顔色も唇の色も良く見えました。ただ彼女の身体からではなく、傍らの人工呼吸器が音を立てているのがとても不思議な感じがしました。
しかし今やそれしか彼女の命を繋ぐ術はなくなっていました。
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