2005年09月10日

My Dear Keiko

from My Dear Keiko/弱まり行く力。(抜粋)

 「余命は発症の時点から起算します。」2000年10月19日に中村先生からはそう告げられていました。敬子が受けた余命宣告は半年長くても2年。その後すぐ調べた時も、彼女のような悪性度の高い脳腫瘍の患者さんの5年生存率は7%と書かれていました。その半年が近づいていました。外見からは彼女の容態は安定していました。しかし彼女の「生きる力」は少しずつ確実に弱まって来ているように思えるのでした。
 面会に行く度、彼女の顔や手足に触れ、色々なことを話しかけていました。手足には脳の障害による四肢の麻痺の症状である硬縮がありました。しかし、それも以前に比べるとそんなに強いものではなくなっていました。彼女の手を取り、そして緩めると手は力なくダラリとするようになっていました。「ママ。敬子。僕だよ。気分はどう?」と話しかけると、薄く目を開けようとするのですが、大きく見開くまでは行かず、すぐ閉じてしまうことも多くなっていました。
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 彼女だったらどうするか?と考え、迷い、そして「5年生きる可能性はある。しかし意識の戻らぬままで生きることは決して彼女が望むことではない」と、再手術も放射線治療も抗がん剤治療も行なわないと肚を決めました。彼女が「生きる力」だけで彼女らしい生き方を全うするのを見守ろうと。しかし、その「生きる力」が徐々に弱くなって行くのを日々見守るのはやはり切なく、辛いことでした。
 寒の戻りがあって、毎日寒い日が続いていました。「今日はママ。また冬に逆戻りしちゃったよ。すごく寒いよ。ママも寒い?」と訊ねても、眠ったように静かに横たわっています。これまで何度も襲った厳しい局面を、彼女は何も言わずに乗り越えて来ました。強い精神力と意志そして体力で。しかしそれにも限りがあります。1日でも長く生きて欲しいと思って来ました。しかし傍にいて、それももうとても酷なことのように思えてならないのでした。
 「ママ。もうすぐ葉奈も卒園だよ。沙羅も1日も休まないで4年生を終えそうだよ。2人ともそのことをママに伝えたいんだ。ママ、頑張ったよって言いたいんだよ。だから、それまでは頑張ろうな。」
 その日の彼女は、やはり熱があり、目を開けてくれたのもごくわずかでした。
 でもきっと解ってくれていると思いました。

at 23:26 | Category : My Dear Keiko | Comments [0] | TB [0]
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