Principle of C-BAR'S WORKSHOP

心に響く、仕事でありたい。

まっすぐに、お客様に向き合うこと。
決して、妥協しないこと。
嘘のない仕事であること。
最善の選択という評価をめざすこと。
きっとそれが「心に響く、仕事」である、と信じること。


2005年09月30日

Back to 1990's.

エリック・クラプトン。  Back to 1990's.

『フジテレビ、水曜10時。新番組がスタートした。中村雅俊主演の大人の恋の物語。ターゲット設定の巧みさなど、フジテレビやっぱり一番元気だわと思わせたが、興味は主題歌にエリック・クラプトンの「ワンダフルトゥナイト」が遣われているところにあった。で、試しに観た。主人公は40ぐらい。妻を亡くし目下独身。そこに3人の子持ちの女性と、恋敵に亡き妻の双子の妹とありふれた設定。ターゲットの年齢が上がった以外に斬新さは、ない。それ以上に残念だったのは、主題歌の遣われ方。ピアノ、オーケストラと様々に編曲され、番組の各所に挿入されるが、いただけない。曲想というものを全然、大事にしていない。編曲者はきっと英語が不得意に違いない。一番好きな相手への想いを歌う曲なのに、オーケストラで朗々とやっちゃ、クラプトンが三波春夫になっちまう。こんなことを仕事でしてないか?コピー内容を無視したようなデザイン、デザイン重視で舌足らずのままのコピー、etc。』

これを読むと15年ほど前の僕は、かなり生意気で鼻息の荒いヤツだったようだ(笑)。
この頃から少しずつフジテレビに不満を持つようになったのかも知れないな。
エリック・クラプトンは前から好きだったが、最近は歳を重ねて、
ギターの腕前は言うまでもないけれど、その歌がとてもいい。
アンプラグドという新しいジャンルの火付け役となった彼のライブから、
最愛の息子を失った悲しみを込めた「Tears In Heaven」をはじめとして、
スタンダードを歌ったり、ジェームス・テイラーの名曲をカバーしたり、とても歌心があるし、
音楽というよりも、その生き方が素敵だなと思うようになった。
そういえばライブに行くと、みんなが要求するので必ずやるのに「いとしのレイラ」という曲がある。
確かに名曲。盛り上がる、
でも僕はアルバムに入っている「いとしのレイラ」の次の曲、
つまりアルバムの一番最後の曲のほうが好きだったし、今もそれは変わらない。
その曲の名は「庭の木(A Thorn Tree In The Garden)」。
クレジットによるとボーカルは違う人だけれど、それ以後のクラプトンに繋がっていくようなバラードの名曲だと
個人的には思っている。
何度も聴いた。何度も泣いた。そんな曲は滅多にない。

at 9. 30, 2005 21:17 | Category : Back to 1990's. | Comments [0] | TB [0]
Back to 1990's.

「大人は判ってくれない」という番組(フジ)は買いだ!  Back to 1990's.

1990年頃。僕はまだ会社勤めをしていました。その頃自分のメンバーとしっかりコミュニケーションしようと思い立って、
Welcome To The New World/C-BAR'S NOTE なるタイトルでその時々に感じたことを書いて、メンバー内を回覧するという方法で、いろいろ書いていました。
 最近になって読み返してみたら、10年以上が経った今でもあまり時代は変わっていないなぁと感じました。その中からいくつかご紹介しながら、今考えていることも少し加えていきたいなと思います。

その第一弾。

『「思い立ったが吉日」というので、早速。これから、できるだけ毎日、気になったこと、面白いこと、etc.書き連ねたい。情報があったら教えて欲しい。よろしく。

先日、久し振りに体調が悪く、会社を休んだ。手持ち無沙汰で、ずっとテレビを見てたら(眺めてたら)、結構面白い番組があった。「大人は判ってくれない」というタイトルで、1時間で短編を2編。伊武雅刀がホスト役。近頃あまりに安易な番組が多く辟易していた所なので結構愉しめた。テレビ東京で、多分月曜日だったと思うが、1時間モノのサスペンスがあるが、脚本が悪いのかいつも中途半端。それにひきかえ、1時間に2作品のこの番組は脚本がいいのか、緊張感があり、テンポも快適だ。「大人は判ってくれない」というタイトルは多分トリュフォーの映画からとったものだと思うのだが、新風を吹き込もうというスタッフの意欲があらわれていて、良い。この前は、なんと出演者が全員アメリカ人(カナダ人?)で字幕スーパー付きのヤツをやってた。DJの話。テレビでも広告でもマンネリを打破することが、次の道を拓くし、長けりゃイイってもんじゃないことを改めて教えてくれた。心がスーッとして、次の日はちゃんと来た。』 

こんなことを15年ほど前に書いた。
翻って、最近のフジテレビ。
いかにも残念だが、この頃は気概もセンスも何もない感じがしてならない。
この当時以降、長く視聴率の三冠王を他局に奪われているのも、至極当然である。
何がフジテレビをそうさせてしまったのかは良くは判らないけれど、
もう昔話のようになってしまった感はあるが、ライブドアとの一連の茶番劇を見ていて、
凋落の一因は間違いなくトップにあると思った。
昔は報道畑で鳴らした人らしいが、ならば自局の深夜のニュース番組を見て、
これはひどいと思わないのだろうか?
個人的には深夜のニュース番組の中でフジのそれは、最悪である。
その理由は、四の五の言っても始まらないので、
とにかくご覧いただき他局と見比べることをお奨めしたい。きっと頷いていただけるかと思う。

テレビ、特に民法はこれからますます難しい時代になる。
インターネットで良質な番組をじゃんじゃん観られるし、
映画だけ観たいんだったら,CMなしのWOWWOWをはじめとした衛星放送の方がずっといい。

「ポンキッキ」や「プロ野球ニュース」、映画好きの僕には本当に愉しみだった
「アメリカの夜」(宝田 明がホスト役)
フジテレビはかつて民放として画期的かつ良質な番組を作っていた。
それが今やそれらもなくなったり、やわな番組に落ちぶれた。

頑張れ、フジテレビ!とエールを送りたいけれど、
そのためにはやっぱりトップが変わらないとダメかな?

at 9. 30, 2005 20:04 | Category : Back to 1990's. | Comments [0] | TB [0]

2005年09月20日

My Dear Keiko

●ご意見・ご感想・アドバイスそして本のご注文は・・・  My Dear Keiko

「マイ・ディア・敬子」に興味を持っていただいて、ありがとうございます。
ご意見・ご感想そしてアドバイスをいただければ幸いです。

ご意見・ご感想・アドバイス/本のご注文は、
有限会社シーバーズ・ワークショップまでお願いいたします。
gimlet@c-bars.co.jp
●本の代金の振り込み/ベティ基金へのご協力は、お手数ですが下記口座までお願いいたします。
城南信用金庫 経堂支店 普通預金 口座番号353195
口座名 ベティ基金 柴田 英雄
●郵便振替もご利用いただけます。
豪徳寺駅前郵便局 00150-1-114176番 
ベティ基金 

at 9. 20, 2005 00:30 | Category : My Dear Keiko | Comments [1] | TB [0]
My Dear Keiko

ベティ基金の設立にご協力ください。  My Dear Keiko

妻、敬子の死は、僕自身に大きな変化をもたらしました。
何かこの僕に出来ることはないかと考えるようになりました。
そして今も、この本の売り上げや、みなさんのご協力やアドバイスを基に、
「ベティ基金(Betty Fund)」が設立出来ないものかと考えています。
そこでは
●彼女と同じ脳腫瘍をはじめ、重い病と闘うみなさんが、情報交換出来る場・機会を創り出し、
   お互いに励まし合えれば。
●脳腫瘍という、今もなお未知の部分が多い領域の研究を支援出来れば。
●彼女と同じような年齢の女性はもちろん、多くのみなさんが、もっと健康に配慮出来る  
   きっかけ作りが出来れば。
●高度医療を受けるために必要な治療費を一時的に支援出来れば。
というようなことを考えています。

at 9. 20, 2005 00:20 | Category : My Dear Keiko | Comments [0] | TB [61]

2005年09月11日

My Dear Keiko

from My Dear Keiko/2001年4月12日〜14日。/送る言葉。(抜粋)  My Dear Keiko

 お別れ会の最後に親族を代表して、僕が送る言葉を述べることになっていました。しかしそうは言われたものの、何を言えばいいのか最後までまとまらず、その場でも胸が詰まって涙が出て来て、結局うまく言えませんでしたが、その時言おうと思っていたことはこんなことでした。
 「・・・・早過ぎる死でした。人の死はどんな場合も、残された者に悲しみ、辛さをもたらします。敬子の場合もあまりに突然で、しかもこれからやりたいことがたくさんあって、お互いに計画を練っていた矢先でしたから。
 重い脳腫瘍と診断された敬子は198日間一生懸命頑張ってくれました。沈黙の闘いでしたが、何度もくじけそうになった僕を窘め、勇気づけてくれました。そしてその人生を賭けて色々な宝を僕に残してくれました。そのひとつはたくさんの想い出です。僕は敬子が19歳の時に出会いました。ガールフレンドが、恋人になり、妻となり、そして母となる。それぞれの時を共に過ごせたことは幸せで、とても大切な宝になりました。二つ目は多くの友人たち。みなさんも得難く、そして何物にも代え難い宝です。闘病中、何度もお見舞いに来てくれて、励まし勇気づけてくれました。大好きな歌が病室に響いたこともありました。そんなみなさんのご助力が敬子に届きました。そして僕もどんなに辛くても決して負けない、あきらめない、自分からは降りない、そんな敬子を好きになったのだと思いました。三つ目の宝。それは僕に残してくれた愛する家族です。沙羅と葉奈。この2人がいなければ僕はただうろたえるばかりで、希望を失ってしまったかも知れません。2人の娘をとても愛していた敬子でしたから、これから敬子の分も愛して行きたいと思います。

at 9. 11, 2005 23:39 | Category : My Dear Keiko | Comments [0] | TB [0]
My Dear Keiko

from My Dear Keiko/2001年4月12日〜14日。/離別と不変。(抜粋)  My Dear Keiko

 1日目は夜遅くまで親戚や仲間たちがいてくれて、お風呂に入れなかったので、次の日の朝、式場に出かける前に沙羅と葉奈と一緒にお風呂に入ることにしました。お風呂には水に濡れても大丈夫という面白い本が数冊置いてあって、その一冊に花言葉が書かれているのを沙羅が憶えていて、向日葵とスイトピーの花言葉を探してくれました。そう言えば、そんなことは全然考えていませんでした。とにかく敬子は向日葵が好きだったとか、単純にカーネーションよりはスイトピーがいいとか思いつきで選んだので、その花言葉など調べる余裕はありませんでした。「どんな風に書いてある?」と沙羅に訊ねました。「えーとねぇ。向日葵はね、これ何て読むのかな。なんとかマンと不変。スイトピーはね、何とかガクと何とかベツ。」「それじゃ解んないよ。どれどれ見せてよ。」沙羅から本を渡されて、見てみました。色々な花言葉がありました。昔、彼女にバラを贈ることもあったので、バラにしようかとも思ったのですが、バラには色ごとにずいぶん花言葉が違うことも判りました。贈る時はいつも赤いバラでしたが、その花言葉は情熱、純愛、でもそれが黄色なら嫉妬、不実に変わるのでした。最初献花にしようと思ったカーネーションは、赤は慈悲、白は純愛、黄色は軽蔑、縞は拒絶。花言葉のことを考えると実は花選びはかなり難しいのだと思いました。そんなことは全然考えもせずに選んだ向日葵とスイトピーはどんな花言葉を持つ花なのか。探しました。なるほど5年生になったばかりの沙羅には確かに読み方は難しい。向日葵は、傲慢、不変、スイトピーは歓楽、離別。傲慢というのは彼女には当たらないけれど僕には当て嵌まるかも知れない。でも不変というのはとてもいい。スイトピーはまさに献花には相応しい花言葉を持つ花だったのだと初めて知りました。
 離別と不変。彼女のお別れ会に、そんな言葉を持つ花を選んだ。別れることは確かに悲しい。でも彼女を想い出せば、彼女と別れることはない。きっとどこかで僕たちのことを見守ってくれるはずだから。そんな想いを変わらず持つこと。それが彼女のために出来ること、これまで僕たちにしてくれたこと、残してくれたことに感謝することなのだと。「愛されることは長続きはしないけれど、愛することはいつまでも続く、その想いがある限り。」いつか読んだ本の中の一節が浮かんで来ました。
 「よし、このことも送る言葉を言う時に、絶対に話そう。」
 でも実際には、胸が詰まって涙が出て来て、しどろもどろになってしまい果たせませんでした。

at 9. 11, 2005 23:10 | Category : My Dear Keiko | Comments [0] | TB [0]
My Dear Keiko

from My Dear Keiko/2001年4月12日〜14日。/人と人を繋ぐ人。(抜粋)  My Dear Keiko

 お別れ会には本当に大勢のみなさんが集まってくれました。敬子の幼馴染み、高校、大学時代からの仲間たち、会社勤めの頃の上司や同僚、保育園の、幼稚園の、小学校の、色々なサークルの友人そして子どもたち、ご近所のみなさん、沙羅や葉奈のことを憶えていてくれて商店街の八百文さんまで。そして彼女を良く知る僕の古くからの仲間たち、友人たち、バンド仲間、会社勤めをしていた頃の上司、同僚たち、草野球チームの仲間たち、仕事仲間、クライアントのみなさん、家族ともども可愛がってくれたお店のご主人たちもご夫婦で。家族でお世話になった彼女の大学の大先輩も。多くの電報も届きました。多くの花も届きました。予想をはるかに上回り、集まっていただいたみなさんは両日で600人近くに上りました。数日後、遠くにいて来れなかったというメールも届きました。ブラジルから、ドイツから。盛大に、晴れやかに送ってあげたいと思っていた僕の望みはこんなにも多くのみなさんによって実現出来ました。彼女もきっと驚いたでしょう。そしてとても喜んでくれたでしょう。
 集まってくれた中には、大学を卒業して以来会っていない友人もいました。彼女が再び引き会わせてくれたのだと思いました。集まってくれたみんな彼女に起こってしまったことに驚き、残念だ、気を落とすなと励ましてくれましたが、「ぶるちゃんって、向日葵が好きだったんだ。知らなかった。でも確かに似合ってるよ。」「大好きな歌が流れてて、きっとぶるも嬉しいと思うよ。」「こんな送り方もあるんだなって思ったよ。感心した。」と、彼女らしいお別れ会になったと言ってくれました。
 彼女がまだ闘病中、ご近所の神武(コウタケ)さんのお宅にみなさんが集まってパーティーをしたことがありました。うろたえてすっかり気弱になっていた僕を元気づけるために招いてくれたのでした。その時神武さんがこんなことを言っているのを思い出しました。「敬子さんはさ、いつもいろんな人たちの真ん中にいるのよ。そんな気がする。お互いなかなか話せないでいた人も彼女がいることで打ち解けて友だちになっちゃう。そんな感じなのよね。」確かにそうかも知れないと思いました。
 お別れ会はまさにそんな彼女を表していました。共通の友人が多かったのですが、初めてお目にかかる方もとても多く、彼女が本当に多くのみなさんと交流していたことに驚き、感じ入りました。
 彼女はまさに「人と人を繋ぐ人」だったのだと。そんな彼女のおかげで、僕も色々な方と巡り会えたのだと。

at 9. 11, 2005 22:31 | Category : My Dear Keiko | Comments [0] | TB [0]